流しそうめん

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弁護士の佐藤です。

 

ずどーんと今週も始まってしまいました~。

 

月曜日です。

 

 

今週もなにかとバタバタしそうですが、頭を整理しつつはりきってがんばりたいと思います。

 

 

で、先週、重傷を負った清水エスパルスの大前元紀君と晩飯を食べてきました。

 

元紀さん、意外と元気そうで。

 

 

とりあえず、ホッといたしました。

 

まあ、復帰まではまだまだ時間かかるだろうし、リハビリも大変でしょうが・・。

 

 

元紀、がんばれよ~。

 

 

で、さらに、昨日は、山梨県に急きょいってきやした。

 

 

思いつきで。

 

 

ひとっ走り。

 

 

目的は・・・

 

 

なんと

 

 

流しそうめん!!!

 

 

どこでもできるっちゃーできるのでしょうが、県内にお店がない。

 

 

竹からつくる気力もない。

 

 

なので、はるばる山梨にある流しそうめんのお店にいってきたのですが、あなどれない、流しそうめん。

 

超美味。

 

解放感がそうさせてくれるのかもしれませんが、目の前がきれいな川で、流しそうめんの流しも冷え冷えのお水。

 

 

人生お初の経験でしたが、一度は経験した方がよいですぜ。

 

 

ところで、話かわって、先日憲法のお話しをしたので、少々憲法のお話しを。

 

憲法のご紹介をする上で、最初はやはり前文と呼ばれるもののご紹介を。

 

憲法には、条文の入るまえに、前文というものがございます。

 

憲法の前文にはこう書いてあります。

 

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

 

確か、中学か高校の授業で、前文を暗記させられたような気がします。

 

で、この前文は、大きくわけて4つの構成になっております。1つは、国民主権であり、その行使方法が代表民主制であること、2つめが、日本多く憲法の三大原則である平和主義(平和的生存権)、3つめが、国際協調主義、4つめが、日本国憲法の崇高な理想と目的を達成することです。

 

この前文で問題となるのが、前文の法的性質です。つまり、憲法各条文のように法的拘束力があるのかどうかです。

 

この問題には、いろいろな学説があり、ここで詳しくお話しすることはしませんが、通説は、法的拘束力を否定しています。

 

理由は、前文は、抽象的かつ不明確で具体性を欠くこと、前文は各規定で具体化されているからというものです。

 

で、なぜこんな議論が必要かといいますと、過去、この前文の法的拘束力が裁判で実際に争点となったからです。

 

古い判例ですが、長沼事件というものです。

 

 

だいぶ長くなったので、続きはまた追ってご紹介します。

 

というわけで、今週もがんばってまいりましょ~。

 

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