津地鎮祭事件

022

弁護士の佐藤です。

 

木曜です。

 

踏ん張りどころです。

 

本日も暑くなりそうなので、熱中症等にはくれぐれもお気をつけを。

 

さて、本日も憲法の判例をご紹介します。

 

前回までは信教の自由の話をしましたが、本日からは同じ憲法20条の中でも政教分離とよばれている規定に関してです。

 

憲法20条1項後段は、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と定め、3項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と定めています。つまり、国から特権を受ける宗教を禁止し、国家の宗教的中立性を明示した規定です。

 

そこで、本日から、この政教分離にまつわる判例をいくつかご紹介します。

 

本日は、津地鎮祭事件とよばれている事件です。

 

事案は、三重県津市が、市体育館の建設にあたって、神式の地鎮祭を挙行し、それに公金を支出したことが、憲法20条、89条に反しないかが争われたものです。

 

因みに、憲法89条は、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」という規定です。

 

上記事件は、最高裁まで争われたのですが、控訴審の名古屋高裁は政教分離に反し違憲との判断を示していました。

 

そして、最高裁は、まず、宗教的活動について、

 

「ここにいう宗教的活動とは、前述の政教分離原則の意義に照らしてこれをみれば、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであつて、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。その典型的なものは、同項に例示される宗教教育のような宗教の布教、教化、宣伝等の活動であるが、そのほか宗教上の祝典、儀式、行事等であつても、その目的、効果が前記のようなものである限り、当然、これに含まれる。」

 

とし、

 

「元来、わが国においては、多くの国民は、地域社会の一員としては神道を、個人としては仏教を信仰するなどし、冠婚葬祭に際しても異なる宗教を使いわけてさしたる矛盾を感ずることがないというような宗教意識の雑居性が認められ、国民一般の宗教的関心度は必ずしも高いものとはいいがたい。他方、神社神道自体については、祭祀儀礼に専念し、他の宗教にみられる積極的な布教・伝道のような対外活動がほとんど行われることがないという特色がみられる。このような事情と前記のような起工式に対する一般人の意識に徴すれば、建築工事現場において、たとえ専門の宗教家である神職により神社神道固有の祭祀儀礼に則つて、起工式が行われたとしても、それが参列者及び一般人の宗教的関心を特に高めることとなるものとは考えられず、これにより神道を援助、助長、促進するような効果をもたらすことになるものとも認められない。そして、このことは、国家が主催して、私人と同様の立場で、本件のような儀式による起工式を行つた場合においても、異なるものではなく、そのために、国家と神社神道との間に特別に密接な関係が生じ、ひいては、神道が再び国教的な地位をえたり、あるいは信教の自由がおびやかされたりするような結果を招くものとは、とうてい考えられないのである。」

 

とした上で、

 

結論として、

 

「本件起工式は、宗教とかかわり合いをもつものであることを否定しえないが、その目的は建築着工に際し土地の平安堅固、工事の無事安全を願い、社会の一般的慣習に従つた儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められないのであるから、憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動にはあたらない」

 

という結論になりました。

 

これは、宗教的活動かいなかの判断基準をどのようにとらえるかについて、いわゆる目的効果基準という比較的ゆるい、つまり、ゆるやかな分離は是認するという判断基準のもと、上記結論に至っているわけですが、この最高裁判決には、反対意見がふされており、反対意見の基準は、完全分離説にたつものの、国家と宗教のかかわりを一切たつということまでは言っていません。

 

いずれの基準を採用するにせよ、結局は、その宗教的活動の内容次第になり、地鎮祭がある程度世俗的であったことで、合憲の判断になったものと思われます。

 

ページの先頭へ