博多駅テレビフィルム提出命令事件

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弁護士の佐藤です。

 

火曜日です。

 

先日からかなりの猛暑となっております。

 

熱中症や体調管理にくれぐれもお気をつけください。

 

夏バテ気味ですけど・・・わたし・・・。

 

 

で、本日も相変わらず憲法に関するお話ですけど、本日からは、表現の自由に関する判例をご紹介します。

 

憲法21条は、

 

  1. 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
  2. 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 

と規定しています。

 

憲法上の人権の中でも、表現の自由は非常に重要な権利とされ、その価値は、個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させるという個人的な価値と、言論活動によって国民が政治的意思決定に関与するという、民主政に資する社会的な価値の2つがあります。特に、国民が自ら政治に参加するために不可欠の前提をなす権利です。

 

 

そして、この表現の自由をもとに、様々な権利があると考えられていて、その一つに報道の自由とよばれるものがあります。

 

報道は、事実を知らせるものであり、特定の思想を表明するものではありませんが、報道は、報道のために報道内容の編集という知的な作業が行われ送り手の意見が表明される点から言っても、さらに報道機関の報道が国民の知る権利に奉仕するものとして重要な意義をもつことからも、報道の自由も表現の自由に含まれるものとされています。

 

そして、この報道の自由が問題となった有名な最高裁判例が、博多駅テレビフィルム提出命令事件です。

 

これは、米原子力空母寄港反対闘争に参加した学生と機動隊員とが博多駅付近で衝突し、機動隊員に過剰警備があったとして付審判請求、つまり、公務員の職権濫用罪等に関して検察が不起訴にした場合にその当否を審査する審判がなされました。

 

これに対し、福岡地裁は、テレビ放送会社に、衝突の模様を撮影したテレビフィルムを証拠として提出することを命じたのですが、放送会社はその命令が報道の自由を侵害するとして争ったものです。

 

 

この点、最高裁昭和44年11月26日決定は、

 

まず、報道の自由について、「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。したがつて、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条の保障のもとにあることはいうまでもない。また、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法二一条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない。」

 

としながらも、

 

「本件では、まさに、公正な刑事裁判の実現のために、取材の自由に対する制約が許されるかどうかが問題となるのであるが、公正な刑事裁判を実現することは、国家の基本的要請であり、刑事裁判においては、実体的真実の発見が強く要請されることもいうまでもない。このような公正な刑事裁判の実現を保障するために、報道機関の取材活動によつて得られたものが、証拠として必要と認められるような場合には、取材の自由がある程度の制約を蒙ることとなつてもやむを得ないところというべきである。しかしながら、このような場合においても、一面において、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無を考慮するとともに、他面において、取材したものを証拠として提出させられることによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであり、これを刑事裁判の証拠として使用することがやむを得ないと認められる場合においても、それによつて受ける報道機関の不利益が必要な限度をこえないように配慮されなけれぼならない。」

 

という判断基準を示した上、

 

結論として、「本件の付審判請求事件の審理の対象は、多数の機動隊等と学生との間の衝突に際して行なわれたとされる機動隊員等の公務員職権乱用罪、特別公務員暴行陵虐罪の成否にある。その審理は、現在において、被疑者および被害者の特定すら困難な状態であつて、事件発生後二年ちかくを経過した現在、第三者の新たな証言はもはや期待することができず、したがつて、当時、右の現場を中立的な立場から撮影した報道機関の本件フイルムが証拠上きわめて重要な価値を有し、被疑者らの罪責の有無を判定するうえに、ほとんど必須のものと認められる状況にある。他方、本件フイルムは、すでに放映されたものを含む放映のために準備されたものであり、それが証拠として使用されることにつて報道機関が蒙る不利益は、報道の自由そのものではなく、将来の取材の自由が妨げられるおそれがあるというにととまるものと解されるのであつて、付審判請求事件とはいえ、本件の刑事裁判が公正に行なわれることを期するためには、この程度の不利益は、報道機関の立場を十分尊重すべきものとの見地に立つても、なお忍受されなければならない程度のものというべきである。また、本件提出命令を発した福岡地方裁判所は、本件フイルムにつき、一たん押収した後においても、時機に応じた仮還付などの措置により、報道機関のフイルム使用に支障をきたさないよう配慮すべき旨を表明している。以上の諸点その他各般の事情をあわせ考慮するときは、本件フイルムを付審判請求事件の証拠として使用するために本件提出命令を発したことは、まことにやむを得ないものがあると認められるのである。」

 

として、憲法21条には反しないとしました。

 

当然、報道の自由も一定の制約をともなうことは当然です。

 

しかし、本件で、報道機関が蒙る不利益は、報道の自由そのものではなく、将来の取材の自由が妨げられるおそれがあるというにとどまる」として点については、あまりにも報道の自由に対する評価が低く、将来の取材の自由の制約は、報道を委縮させ、ひいては、必要な情報が国民に届かないという点をあまりにも看過したものとういわざるをえません。

 

今日、改憲の議論の中でも表現の自由の規定も議論の対象となるところです。

 

正直、これまでの報道の中でも、行き過ぎたもの、表現の自由を楯に、個々の人権を無視した報道というのも確かにあるところであり、様々な議論が必要だと思います。

 

議論をする上で、あらためて、古い判例をもう一度検討してみるということは大切なことかもしれません。

 

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