先日のラーメン

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弁護士の佐藤です。

 

梅雨も明け、暑いです。

 

少々風邪気味です・・・。

 

前も言いましたが、最近めっきり、こじゃれたラーメン屋さんに興味がなくなり、昔ながらの中華料理屋さんに心を奪われ続けております。

 

こういうお店、なかなかネットではでてこなく、なおかつ食べログなどの点数の評価もひくかったり。

 

が、しかし、食べログなんてまったくあてにならないのは知っているし、最近は、点数よりも写真から美味そうかどうかを判断。

 

で、最近はまりにはまっているあんかけラーメン。いくら外が暑かろうと関係ありません。

 

あんが麺にからむ具合がたまらない。

 

というわけで、先日は、音羽町にある銀杏亭というお店に初めていってまいりました~。

 

もやしラーメン。

 

店内の渋さといい、漫画がおいてあるといい、入り口に金魚がいるとか、まさにノスタルジックでナイスな中華料理屋さん。

 

 

小食のわたしには、まあまあの量でしたが、もやしたっぷりのあんが最高でした~。

 

 

で、話かわって先週からお話ししている憲法。

 

 

本日も判例を紹介したいのですが、そもそも、憲法の役割とは。

 

それは当然、国民の権利、自由を守るために、国家権力を制限することです。

 

国民の生活等を制限規制する法律が憲法に違反している場合には、違憲として、当該法律は無効とされます。つまり、国民の自由が守られるわけです。

 

憲法は、対国家権力で問題となるのです。

 

では、私人間、つまり、人と人、人の会社間の争いでは、憲法はまったく問題とならないのでしょうか。

 

この点で問題となったのが、三菱樹脂事件というものです。

 

この事案は、昭和38年3月に大学を卒業した原告が、三菱樹脂株式会社という会社に3か月の使用期間ということで入社したのですが、入社試験の際の身上書及び面接において、学生運動等の参加活動を秘匿する虚偽の申告をしていたことが範恵美したため、会社側は試用期間終了直前に本採用を拒否しました。

 

そこで、原告は、労働契約が存在するとして会社を訴えました。

 

つまり、人対会社間の争いです。

 

もっとも、会社の行為は、憲法上規定のある平等の原則(14条)や思想良心の自由(19条)にも反するものとも思えます。

 

この点に関し、昭和48年12月12日最高裁判決は、「憲法の右各規定は、同法第三章のその他の自由権的基本権の保障規定と同じく、国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もつぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない。このことは、基本的人権なる観念の成立および発展の歴史的沿革に徴し、かつ、憲法における基本権規定の形式、内容にかんがみても明らかである。のみならず、これらの規定の定める個人の自由や平等は、国や公共団体の統治行動に対する関係においてこそ、浸されることのない権利として保障されるべき性質のものであるけれども、私人間の関係においては、各人の有する自由と平等の権利自体が具体的場合に相互に矛盾、対立する可能性があり、このような場合におけるその対立の調整は、近代自由社会においては、原則として私的自治に委ねられ、ただ、一方の他方に対する侵害の態様、程度が社会的に許容しうる一定の限界を超える場合にのみ、法がこれに介入しその間の調整をはかるという建前がとられているのであつて、この点において国または公共団体と個人との関係の場合とはおのずから別個の観点からの考慮を必要とし、後者についての憲法上の基本権保障規定をそのまま私人相互間の関係についても適用ないしは類推適用すべきものとすることは、決して当をえた解釈ということはできないのである。」

とし、

 

さらに、「もつとも、私人間の関係においても、相互の社会的力関係の相違から、一方が他方に優越し、事実上後者が前者の意思に服従せざるをえない場合があり、このような場合に私的自治の名の下に優位者の支配力を無制限に認めるときは、劣位者の自由や平等を著しく侵害または制限することとなるおそれがあることは否み難いが、そのためにこのような場合に限り憲法の基本権保障規定の適用ないしは類推適用を認めるべきであるとする見解もまた、採用することはできない。何となれば、右のような事実上の支配関係なるものは、その支配力の態様、程度、規模等においてさまざまであり、どのような場合にこれを国または公共団体の支配と同視すべきかの判定が困難であるばかりでなく、一方が権力の法的独占の上に立つて行なわれるものであるのに対し、他方はこのような裏付けないしは基礎を欠く単なる社会的事実としての力の優劣の関係にすぎず、その間に画然たる性質上の区別が存するからである。」

 

とし、

 

最終的には、「すなわち、私的支配関係においては、個人の基本的な自由や平等に対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、これに対する立法措置によつてその是正を図ることが可能であるし、また、場合によつては、私的自治に対する一般的制限規定である民法一条、九〇条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によつて、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存するのである。そしてこの場合、個人の基本的な自由や平等を極めて重要な法益として尊重すべきことは当然であるが、これを絶対視することも許されず、統治行動の場合と同一の基準や観念によつてこれを律することができないことは、論をまたないところである。」

 

という基準をもちいました。

 

 

これは、学説的には、間接適用説とよばれるもので、簡単にいえば、民法90条(公序良俗規定)のような私法の一般条項を、憲法の趣旨を取り込んで解釈適用することにより、間接的に私人間にの行為を規律しようというものです。

 

この説自体は、通説とされており、考え方として支持されています。

 

 

もっとも、上記最高裁は、結論として、企業は雇用の自由を有し、「特定の思想信条を有するものをそのゆえをもって雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできず、また、労働者の採否決定にあたり、労働者の思想、信条を調査し、そのためその者からこれに関する事項についての申告を求めることも違法ではないとしました。

 

これも時代背景があってのことで、現在、この手の裁判がおこったら、結論は変わる可能性は十分にあるような気がします。

 

平等原則と企業の雇用の自由はたびたび対立するところですが、個人の思想の自由を調査、申告を求めることは、現在の価値観なら許されないという判断になるのではないでしょうか。

 

過去に問題となった重要判例を現在の感覚で読み直してみるというのはなかなかおもしろいものです。

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