不作為による殺人罪の成否

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弁護士の佐藤です。

今週と10月がはじまりました。

さて、前回、不作為との因果関係の問題についてお話しましたが、本日は、不作による殺人罪の成否についての判例をご紹介します。

事案としては、被告人が、普通乗用自動車を運転して、時速約六〇キロメートルの高速で進行し、坂のカーブにさしかかつたのであるが、同自動車の前部右側ライト附近を被害者の左下腿部に激突させて、被害者を自動車のボンネット上面に跳ね上げたうえ路上に落下転倒せしめ、よつて、同人に対し骨盤骨複雑骨折および頭蓋骨骨折等の傷害を負わせました。そして、上記傷害を負つた被害者を救護するため最寄りの病院へ搬送すべく、意識不明に陥つている同人を自己の手によつて前記自動車助手席に同乗させて右同所を出発したところ、当時、被害者の容態は、直ちに最寄りの病院に搬送することにより救護すれば死の結果を防止することが充分に可能であったにもかかわらず、被害者を搬送することによつて、被告人が交通事故の犯人であることが発覚し、刑事責任を問われることをおそれるの余り右搬送の意図を放擲し、即時救護の措置を加えなければ、同人が死亡するかもしれないことを充分予見しながら、それもやむを得ないと決意し、このような決意のもとに、約二九キロメートルの間、何らの救護措置もとらずに走行したため、その間走行中の同車内において、同人を骨盤骨複雑骨折による失血および右傷害に基づく外傷性ショックにより死亡させたというものです。

この点、東京地裁昭和40年9月30日は、殺意の有無について、

被害者の容態と救護可能性につき、「事故直後、被害者は意識がなく、呻いてもおらず、きわめて重態であることが明らかに窺われる状態にあつたと認められる。しかしながら、・・・被害者は事故直後に治療を受ければ一命をとりとめる蓋然性が極めて高かった(最近の臨床例では、本件被害者程度の患者で治療の甲斐なく死亡したものが殆どない)こと、被害者は判示第二の犯行現場に放置された場合でも二四時間以上は生存し得たであろうことがそれぞれ認められる。・・・しかして、被害者の死期が早められたのは、本件自動車の狭い助手席に置かれ、車の動揺等の影響を受けたためであること、右供述により明らかなところであるが、被告人が被害者を救護する意思を捨てた四谷三丁目都電停留所附近は、判示第二の犯行現場と約一・九キロ離れているに過ぎない(司法警察員作成の昭和四〇年・三月一日付捜査報告書)から、この程度の走行が被害者の容態を急変させたとは到底考えられないので、右時点において、被害者を直ちに病院に搬送して救護措置を受けしめれば、同人の死の結果を回避することは充分に出来たものと認められる。」

とし、

被害者の容態についての被告人の認識については、「(イ)被告人は当公判廷において、『順天堂病院附近に至るまで被害者が死んだとは思わなかつた。』『病院へ入れれば自分の責任は果せると思つた。』『最初は病院に行つて被害者と示談しようと思つていた。』旨供述しており、右供述に照らせば、被告人が直ちに被害者を病院に搬送すれば救攬可能であると考えていたことは明らかである。(ロ)しかし他方、前記重態と判る被害者の外観、被告人が救急車も待たずに被害者を病院に搬送しようとして出発した事実、被告人の当公判廷における供述により認められる被告人が四谷三丁目交叉点附近で被害者の頬を四、五回叩いたり、腿をゆさぶつたりし、順天堂病院附近で、被害者の心臓の鼓動の有無を確認し、被害者の容態に気を使つている事実、被告人自身の当公判廷における『被害者はかなりのショックで昏睡状態を続けていると思つた。』『このまま車を進めて行けば途中で死んでしまうんじやないかという考えも頭にちらちら浮んだ。』旨の供述を綜合すれば、被告人が被害者の容態をきわめて重いと考えていたことが明らかであり、被告人が信用性を争つている司法警察員に対する「一刻も早く被害者を病院に連れて行かなければ死ぬかも知れないと思つた」旨の供述(同月一七日付)は充分に信用性があり、被告人で被害者の死を未必的に予見していたことは明らかに認められる。」

とし、さらに、被害者の死の結果に対する認容について、「(イ)そして、被告人は、右のような認識をしながら、あえて被害者を病院に搬送しようとせず、自動車の走行を続けたことは前示各証拠により明らかであつて、この行為により、被告人の被害者の死に対する認容の意思もまた充分に認められる。(ロ)この点につき被告人は当公判廷において、『被害者が死んだと知る迄は、被害者を都内の人通りのない所に放置しようと思つていた。必ず誰かが助けてくれると思つていた』旨述べている。右述べる所が仮りに真実であるとしても、被告人は前記のとおり、被害者の容態が一刻を争うと考えていたのであるから、放置することにより被害者の生命が救われるのはきわめて偶然な、他人の行為にかかることも当然に認識された筈である。認容の意思が否定されるためには、自己の行為によつて確実に結果を回避しうると考えた場合に限られるというべきであり、本件のごとく、被害者の生命を偶然に委ねる如きことは、結果を積極的に認容した場合と何ら異なるところがないと考えるのが相当であつて、被告人の右供述する場合であつても、認容の意思は充分に認められるものと考える。結局被告人に未必的殺意のあつたことは明らかであるというべきである。」

とし、殺人罪の成立を認めました。

 

前回もお話ししましたが、不作為の因果関係は、死の認識、救助の蓋然性等細かい事実認定が必要であり、検察側としては、立証活動が困難なものといえるでしょう。

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